チームを支えた2人の選択 横浜ベイスターズ・石井琢朗、鈴木尚典
48勝94敗2引分け。借金46で最下位。5位東京ヤクルトスワローズとのゲーム差19。優勝した読売ジャイアンツとのゲーム差は36.5ゲーム。
横浜ベイスターズの2008年は、非常に苦しいシーズンであった。明るい話題と言えば村田の本塁打王と内川の首位打者獲得、三浦大輔のチーム残留ぐらいだろう。
そのようななか、長年チームを支えた2人の選手がそれぞれの道を選択し、来シーズンを迎える。石井琢郎と鈴木尚典。
石井琢朗は1988年、足利工業高校からドラフト外で当時の横浜大洋ホエールズに入団。入団当初は投手で1年目にプロ初勝利を上げる。しかし3年間でこのルーキーイヤーの1勝に終わり1991年シーズン終了後に打者に転向。この思い切った転向が成功し、1993年に大洋ホエールズから横浜ベイスターズにチーム名が変わった年からレギュラーに定着。守備ではサード、ショートを守りゴールデングラブ賞4回、ベストナイン3回を獲得。また打撃では最多安打2回、盗塁王4回、そして2006年5月11日の対楽天戦で史上34人目2000本安打を達成し名球会入りをする。
一方、鈴木尚典は1990年、横浜高校からドラフト4位で大洋ホエールズに入団。入団後数年はなかなか1軍に上がれず2軍生活を過ごすが、1994年に鈴木の打撃センスが開花し1軍に定着。1996年には初めて規定打席に到達し打率.299、本塁打13本と活躍した。翌年1997年には3番に定着し打率.335で初の首位打者を獲得。翌1998年も2年連続首位打者を獲得し、横浜ベイスターズの38年ぶりの優勝、日本一に大きく貢献しした。当時のベイスターズ打線は「マシンガン打線」と言われていたが鈴木は「浜の安打製造器」と呼ばれていた。
しかし、ここ数年は若手の台頭や不振で二人とも出場機会に恵まれず、ついに今年、長年チームを牽引してきた二人に対し球団は戦力外通告を出した。しかし二人とも現役続行を希望していた。
二人とも他チームからのオファーを待ち、必要ならば12球団合同トライアウトを受ける覚悟までしていたそうだ。
しかし二人の来シーズンの行き先が決まった。石井はやはり現役にこだわり、名球会入りした選手のプライドも捨て広島に移籍。鈴木も現役続行を希望していたが横浜ベイスターズ最終戦、出番がなかったにも関わらず試合終了後のファンからの鈴木コール。このファンの声により「他チームのユニホームを着ることはできない」と現役引退を決断し、球団から打診されていた2軍育成コーチ就任することになった。
現役続行の意思を貫き他チームへの移籍を選んだ石井琢朗、ファンの声によって引退を決意し横浜のユニホームを着続けることを選んだ鈴木尚典。両選手の決断は男の決断であり、すがすがしく格好良い。
きっと二人とも決断に悔いはないはず。新たな道での活躍に期待。

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